最強主人公の無双シーンで強さを表現するのは基本的に序盤だけに限る
創作でよく「無双」という言葉が食傷気味になるほど出てきますよね。
無双シーンは強さの表現として出てくる定番の表現です。
しかし、無双シーンしかない作品は基本的につまらないと思います。なぜなら、キャラの強さを実感することができないからです。キャラの強さというのは基本的に相対評価で、敵キャラもそれなりに強いものが出ないと読者は実感できません。
絶対的に強い主人公を描きたければ、救われるヒロインポジションをきちんと用意する必要があります。救われてほしいほど魅力を感じるキャラであることが重要です。
それが上手いと感じる作品は、古くは『水戸黄門』、最近のものだと『ヤミ金融ウシジマくん』の「洗脳くん」編、『【推しの子】』あたりになると思います。
しかしながら、そういったヒロイン重視型だと救われるまで主人公をあまり登場させることができません。そういうものに魅力を感じない読者は割と多くいると思います。
では、なぜ最強主人公ものがこれだけ売れるかというと、心理学で言う「投影・投射」によるもので、読者の願望だからです。おそらく、ゲームをやっているときに出てくる願望だと思います。
無双シーンしかないものはつまらないと言いますが、ゲームだったらそれなりに面白いものになります。
「無双シリーズ」はもちろん、「ソニックシリーズ」もそういうタイプだと思います。
そして、最強主人公ものはゲーム世界の延長上にある世界観になっているものが多いです。
ちなみに、チートは基本的にマナー違反なので注意しましょう。